バクーでハミルトンのレースを犠牲にしたブレーキ『マジック』とは? メルセデスが低グリップのトラックで苦しむのは何故か?

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アゼルバイジャングランプリの終盤、ルイス・ハミルトンのレースを決定付けた問題を、マーク・ヒューズが解説する。彼はチャンピオンシップを再びリードするチャンスを得ていたが、大量のタイヤスモークと共に逃してしまった。更に、メルセデスが低グリップのトラックで苦戦している原因にも注目する。解説用のイラストは、ジョルジョ・ピオラの提供。

最後のリスタートでの、ルイス・ハミルトンの“ブレーキ・マジック”の失敗は、アゼルバイジャングランプリで起こった大きな出来事の一つだ。大きな出来事としてもう一つ、マックス・フェルスタッペンのタイヤが破裂し、チャンピオンシップの首位が入れ替わることはなかった。

メルセデスステアリングホイールの裏側にあるブレーキマジックボタンは、ブレーキバイアスを目一杯フロント寄りに変更するスイッチで、レースのスタート、あるいはリスタート時のフロントタイヤへの熱入れを支援する。通常走行時、フロントのバイアスはおよそ 52-53% に設定されている。ブレーキマジックスイッチは、理由はともかく即座にブレーキバイアス(今回は 86.5% と言われている)を切り替える。これはレースではなくウォームアップ、あるいはセーフティカーの後ろにいる時にだけ使うものだ。

これは単にホイールリムの内側を加熱するもので、その熱がタイヤに伝わるのはその後だ。ブレーキの制動力の殆どをフロント側に集中させると、カーボンブレーキディスク(これは 1,000℃を超えることがある)と金属のキャリパーから、通常の配分よりも多くの熱が発生する。

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フロントのブレーキダクトの角度を調整することで、ホイールリムを抜ける熱量を変化させることができる。サーマルデグがタイヤの課題になる場合よりも、バクーやモナコのように、ラバーを十分に温めることが課題となる場合のほうが多い。

フロントタイヤの温度は一般的に、リアよりも上げるのが難しい。無論、リアは駆動輪だからだ。フロントタイヤの温度は、バクー、モナコ、それら程ではないがイモラでメルセデスが苦戦したことの鍵であることは明らかだ。言い換えると、ここまでのレースの半分で、メルセデス W12 は、短時間でのタイヤの熱入れに苦労してきたことになる。これは、シングルラップで良いペースを出すために求められる要素だ。

タイヤの熱入れが簡単なクルマとそうでないクルマがあるのには多くの要素が絡んでいるが、グリップの低い路面、低速や角度の浅いコーナーが多いサーキットでは、特に深刻になる。モナコとバクーがそうだ。

この根本的なタイヤへの特性は、メルセデスの週末のあらゆることに影響した。タイヤの温度をウィンドウに入れることができない、即ち、タイヤ内部が閾値の温度に達していないと、セットアップ変更は意図した効果を得られないし、そもそもクルマがうまく走らない。

ウィンドウに入れば、すべてが思った通りに機能し始める。この時に重要なのは、表面ではなく内部の温度だ。トレッドを支えるために荷重に対してたわむよう、内部を十分に温める必要がある。内部が固くたわまなければ、ストレスは内部の支えを得られないトレッドにかかり、路面をスライドしてオーバーヒートする。

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メルセデスステアリングホイールにあるブレーキバイアスセレクターとボタンで、ブレーキバイアスを操作する(赤枠の説明)が、“ブレーキマジック”のスイッチは、ステアリングホイールの裏側にある。(略図提供:メルセデス

オーバーヒートした表面では、内部に適切な荷重を伝えることができず、それによって内部は固いままとなり、ターンで表面の役に立つことができないといった悪循環に陥る。内部が冷たく固いまま表面がオーバーヒートすることは、グレイニングの要因として完璧である。こうしてトレッドが裂け始める。

軽く小突く程度でも内部に負荷をかけられれば、電気のスイッチを入れたように好循環が生まれ、機能し始める。ハミルトンは土曜日になって突然、この閾値に届いたが、バルテリ・ボッタスは週末を通して下回っていた。

モナコはその逆で、イモラの濡れて冷たい路面では、ボッタスが苦戦する一方で、ハミルトンは閾値に届いていた。昨年のイスタンブールも同じような展開だった。

では、メルセデスには何が起こっているのだろう? 21年仕様のタイヤと空力レギュレーションにおいて、この特性に対してより敏感になっているように見える。車体の空力特性が影響しているのかもしれない。低速コーナーで、ハイレーキ・カーよりも上手くフロントに荷重がかけられなければ、好循環に入れるのはより困難になるだろう。

ローレーキ・カーは本質的に、ハイレーキ・カーよりも、低速コーナーでフロントエンドにかかる荷重が少ない。空力を機能させる方法が異なるからだ。

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メルセデスレッドブルのレーキ角の比較(プレシーズンテスト時)

しかし、ローレーキのアストンマーティンは、メルセデスから多くの DNA を受け継いでいるが、モナコとバクーの両方でタイヤとの相性が抜群だった。単独のラップではメルセデスほど速くはなかったが、見事にタイヤを機能させていた。メルセデスには、問題を引き起こした特別な要因がありそうだ。

その一方でメルセデスは、タイヤの温度を低く保つのが難題となるトラックでは、レッドブルよりも優れていることを示してきた。メルセデスのタイヤ特性をコインに見立てると、バルセロナがその裏側としての顕著な例である。ここはタイヤの熱による劣化を最小限に抑えるのが最も困難なトラックで、彼らは勝利した。しかし、低グリップのトラックでは、チームの思い通りにタイヤの温度をウィンドウに入れることができないのは明らかだ。

メルセデスのジェームス・アリソンは、モナコの後にこう語った。「ここ数年、我々は比較的容易くチャンピオンシップに勝利してきたが、それでも(モナコでは)苦戦してきたんだ。我々は概して、言わばブロードソードのように、殆どのトラックで戦える武器のようなクルマを送り出してきたが、そこにはアキレス腱が存在する。

「皮肉なことに、どのサーキットでもタイヤの使い方が武器になるようなクルマなのに、この特徴的なトラックではいつも苦戦するんだ。土曜日は本当に上手くいかなくて、グリッドは下位だった。

「日曜日、スティントの序盤は良かったんだけど、第1スティントの終盤、ここみたいな特徴的なトラックでは順位変動の殆どが起こる局面で、ピットストップで順位を上げられる条件が殆ど無かったんだ。相手よりも少し早くタイヤがダメになってしまい、お手上げだった。

「このことは何シーズンも理解できないままだし、このトラックでどんどん悪くなるのは何故なんだ? 毎年毎年やっていることが単に正しくないだけなのか?っていう根本的なところから答えを出す必要がある。

ここからは標準的なサーキットが続くので、タイヤの状況はバルセロナに近いものになるだろう。しかしこれが、メルセデスがこの特殊な問題の解決策を探ることをやめる理由にはならないだろう。