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Formula 1 の技術エキスパートであるマーク・ヒューズが、ジョルジョ・ピオラのイラストと共に、チームごとに大きく異なったソチへの挑戦を解説する。
ソチでは、各チームそれぞれ異なる状況、優先事項、クルマの特性、そして予選と決勝の天候が、幅広いダウンフォースセッティングを呼んだ。チーム内で異なるケースもあったほどだ。
ソチのトラックは低速の 90度コーナーが多く、ダウンフォースがラップタイムに及ぼす影響が大きい。しかし、大きなウィングでの走行には、最終ターンからターン2 までの長い全開区間でオーバーテイクされてしまう懸念がつきまとう。このようにソチでは、程度は低いが、バクーと同じような問題に悩まされる。
これが正解だというウィングレベルは存在しない。チームとドライバーの状況や、クルマの特性に依存しているのだ。
メルセデスは、最大のライバルであるレッドブルのマックス・フェルスタッペンにグリッドペナルティが課されることを知っており、普段よりもオーバーテイクされる懸念は少なかった。フェルスタッペンが脱落した(彼には最初からモンツァの 3グリッドペナルティがあった)ため、この週末はメルセデスがフロントロウを確保すると思われていた(結局は、Q3 でのインターかスリックかの見極めによる混乱で、そうならなかったが)。
このシナリオでは、2列目にどのクルマが来たとしても、メルセデスとの差がいつもより大きいため、決勝で DRS 圏内に入られることはあまりないと考えられていた。
つまりメルセデスは、本来のパフォーマンスを追求すればよかったのだ。これを受け、金曜日は 2台で比較をおこなっていた。両方のドライバーは無難なハイダウンフォース仕様のウィングで走行したが、バルテリ・ボッタスは上部が拡張された大きなフラップを、ルイス・ハミルトンは拡張していないフラップを使用した。ボッタスのセットアップのほうが良かったため、土曜日からはハミルトンも同じウィングを採用した(下図)。
レッドブルはセルジオ・ペレスを無難なハイダウンフォース仕様のウィングで走らせた。レッドブルの選択肢の中では、このウィングが最速のラップタイムを出すことができる。しかし、フェルスタッペンは優先順位が異なっていた。新品のパワーユニットを投入し、最後尾グリッドからのスタートとなるため、ストレートでのパフォーマンスがより重要だと考えていた。
金曜日、ペレスと同じウィングを使ったフェルスタッペンは、かなり遅いはずのニコラス・ラティフィのウィリアムズの後ろに引っ掛かり、DRS を使ってさえ何もできないと文句を言っていた。
土曜日へ向けフェルスタッペンは、主翼のスプーン形状部が大きい、バクーやスパ向けのローダウンフォース仕様のウィングで走行した。ドラッグの要因となる翼端部を削っているため、ペレスのウィングよりもダウンフォースを生成する面積が少なくなっている。またこのウィングは翼端板もシンプルで、複数のストレーキがついていない。これはディフューザーを抜けた気流を整えるが、対価にドラッグが伴う。
しかし低速コーナーを考慮して、フェルスタッペンのウィングには、エッジに沿ってガーニーフラップが取り付けられていた。この単純なデバイスは、僅かなドラッグで、ウィング表面の気圧を増し、裏面の気圧を減らす効果がある。
フェルスタッペンは雨の予選で、アウトラップをこなしただけだった。グリッドペナルティがあるため、それ以上は必要なかったのだ。ダウンフォースを少なくすることの短所は、不適当な濡れた路面だと、更に大きくなってしまう。決勝はドライとの予報も出ていた。
ローダウンフォースのウィングで走行する悪影響として、これは実際、フェルスタッペンに顕著だったのだが、ローダウンフォースのリアウィングとバランスを取るために、フロントウィングのフラップ角も浅くなることが挙げられる。これにより左フロントタイヤのスライドが増え、ただでさえやっかいな左フロントを労ることができなくなる。
フェルスタッペンは、彼にとって最善のスタートタイヤだったハードコンパウンドを、後方から追い上げる慌ただしいレースのなかで、早々に使い切ってしまった。
彼のハードタイヤは、ミディアムコンパウンドを履いたハミルトンの左フロントがまだましな状態を保っていた段階で、終りを迎えた。次のミディアムタイヤでのスティントでも、早々に左フロントにグレイニングが発生、フェルナンド・アロンソのアルピーヌにオーバテイクを喫している。
ランド・ノリスとダニエル・リカルドの2台のマクラーレンは、メルセデスよりも更にフラップが大きい、かなりのハイダウンフォース仕様で走行した。その上、リカルドはノリスよりもフラップ角をつけていた。
予選と決勝終盤の天候による混乱が、スリリングなレースの結果を左右する重要な要因となった。しかし、ドライバーがこれらのトリッキーなコンディションに対処するための決断は、予選よりも前から始まっていたのだ。