ロータス79、驚異のグランドエフェクト

出典:

www.formula1.com

 2022年、F1 は規約を一新し、新たなグランド・エフェクト時代へと乗り出す。この話題は2018年の8月に初めて取り上げたが、今回マーク・ヒューズとジョルジョ・ピオラが紹介するのは、技術革新的な傑作であるロータス 79 ―― 1978年、グランド・エフェクトを利用したマシンとして初めてのドライバーズ・タイトルをマリオ・アンドレッティにもたらしたことで名高いマシンだ...

 レーシングカーの底面で負圧を発生させ、車体を路面に吸い付かせようという発想は、1960年代の Can-Am(カンナム)スポーツカーシリーズが初めてとされている。しかし、これらのマシンは車幅が大きく、ホイールもボディワークに覆われていた。

 車体の細いオープンホイールのシングルシーターにこの原理を取り入れるのは、非現実的と見られていたが、1977年に登場したロータス 78 がこれを打破し、グランド・エフェクト時代の幕を開けた。そしておよそ40年前、78 の後継であるロータス 79 は、マリオ・アンドレッティのドライブによって、グランド・エフェクト・カーとして初めて世界選手権を制することになる。

 78 の見た目(下図)は同世代のマシンとは大きく異なっており、根本的に異なる方法で空力効果を得ていたことが窺える。

 中央部が極めて細く、大きなサイドポッドが車幅を占有する形状で、サイドポッドの下端に沿ってスカートがある。このスカートは、最初はブラシだったが、後に隙間のないナイロン製となった。

 このスカートは、アンダーボディと路面を密閉し、車体裏面の負圧を強くするのに重要な役割を果たす。表向きはラジエーターへ気流を導くためとしつつ、サイドポッドの開口部をフロントサスペンションのすぐ後ろまで寄せ、その内部形状によって負圧を発生させていた。

 ラジエーターの角度と配置、そして当時はサイドポッド内部にも置かれていた分割燃料タンクの形状によって、気流を利用するベンチュリ構造を内部に形成したのだ。

 気流のチャネルは、後方へ向けて各所で変化している。薄い給気口から、中央の『喉』へ向かい、ディフューザーで急激に広がり、リアのホイールとサスペンションのすぐ前が排気口となっている。

急進的な空力哲学による急進的な形状、サイドスカートがロータスの狙いを実現に導いた ―― イラストはジョルジョ・ピオラの提供

 ベルヌーイの定理に従い、気流は速度が増すほど低圧になる。ベンチュリ構造により気流を意図的に加速し、圧力を低下させている。しかし、それ以上に、サイドポッドの吸気口を路面に接近させたことで、この効果は飛躍的に向上した。路面とラジエーターとの小さな隙間に吸い込まれる際に気流が加速するためだ。

 路面と給気口との隙間が狭いことによる気流の加速は、比例関係以上に大きい。言い換えると、隙間をゼロに近づければ、速度は実に急激に上昇する(だから『地面効果(グランド・エフェクト)』と呼ばれる)。

 スカートによって側面からの気流が逃げるのを抑えると、チャネルを抜ける気流の加速(と、それによる減圧)は目覚ましいものとなる。フロアの幅全体でこの負圧を得ることができるからだ。

 アンダーフロアの気圧と、それより遥かに高い外気圧との差圧によって、マシンを路面に吸い寄せる効果が生まれる。しかも、車体上面でマシンを押さえつけるウィングは空気抵抗を伴うが、こちらのダウンフォースでは殆ど発生しない。

1978年のベルギーグランプリでのロータス79、サイドスカートがはっきりと確認できる。マリオ・アンドレッティとロニー・ピーターソンが1-2を飾った

 エンジニアのピーター・ライトとトニー・ラッドは、BRM に在籍していた'60年代後半、風洞でこのコンセプトに取り組んでいたが、当時のモデルにはスカートが無く、研究を断念していた。

 '70年代半ば、彼らはロータスに在籍しており、チームのボスであるコリン・チャップマンによって F1 マシンの基本構成の見直しを命じられると、BRM での経験を掘り起こし、更なる研究のため風洞へ向かった。

 スカートを持たない当初のモデルで、ある程度の兆候は得られていた。そしてスカートを取り付けてみると、実際に風洞のムービングベルトが上へ引き寄せられたのだ。オープンホイールのシングルシーターにグランド・エフェクトを利用するための暗号が解かれた瞬間だった。

チームの成果を見つめるコリン・チャップマン(左)、1978年イギリスグランプリ

 このコンセプトの実用化へ向け、ラルフ・ベラミーとトニー・サウスゲートが車体を設計し、1976年半ばには、マリオ・アンドレッティによって秘密裏にテストが行われた。そして1977年、アルゼンチンでのシーズン開幕戦でデビューし、3レース後のロングビーチアンドレッティがこのマシンでの初勝利を挙げた。

 フロアで得られるダウンフォースは、負圧と、その負圧が発生する面積とを乗じたものとなる。従って、マシンはレギュレーションで許される最大の車幅とするだけでなく、同世代のマシンと比べ、ホイールベースの内側でもフロアを最大長となるようにしている。

 当初、スカートには、圧縮強度の高いナイロンのブラシが用いられていた。一枚のスカートでは、トラックのバンプや車体の姿勢に応じた可動性が十分なのか、疑問だったからだ。

 可動の空力デバイスは禁止されていた。

 ブラシの方が、気流が逃げる隙間が多いのは明らかで、この数年前、マクラーレンブラバムがゴム製のスカートを(気流がアンダーフロアから逃げるのを防ぐという目的とは全く異なっていたが)使用しており、これに倣い、発表は『ドラフトエクスクルーダー』ブラシでおこなったものの、レースは一枚のナイロン製スカートで走った。

 このスカートは、バンプを乗り越えたり、車体のピッチングやロールに対しても、密閉を維持することができた。低圧のアンダーフロアが路面に引き寄せられ、押し付けられると、バネのようなその弾力で、密閉を維持したのだ。摩耗を防ぐため、スカートの裾はテフロン加工したような帯で補強された。後日更に、この補強はセラミックチップに置き換えられている。

ロニー・ピーターソン(右)、1978年イタリアグランプリのスタート直後の悲劇的なアクシデントで命を落とす。この写真はその日の午前中に撮影されたもの

 マシン本来のポテンシャルを発揮するには、数レースを要している。最初は、従来型で最速のマシン程度の競争力しか持っていなかった。固定化されたベンチュリ構造で発生するダウンフォースの重心が理想的な位置になく、バランスを取るのに大きなリアウィングが必要で、これによって空気抵抗が増し、ストレートで遅くなっていた。

 しかし、アンドレッティとチームメイトのグンナー・ニルソンは、その豊富なダウンフォースによって、コーナーへの進入から脱出まででは、他の最速マシンよりも15%以上のアドバンテージを持っていた。

 第5戦のゾルダーで、アンドレッティはブラバムアルファロメオジョン・ワトソンに1.5秒以上の差をつけてポールを獲得、F1 界は、78 には何か特別なトリックがあることに気がついた。

 アンドレッティがこのタイムを出した時、チャップマンはそこに居らず、遅れて現れた彼は、マシンのアドバンテージを最大限に引き出したドライバーに激怒したという。

 このレースはニルソンが優勝、アンドレッティの優勝は更に3レース後となった。

 更なる好成績も考えられたが、アンドレッティが使ったニコルソン・チューンのコスワースエンジンの信頼性は低く、タイトル争いから脱落、グランド・エフェクトを使わないフェラーリニキ・ラウダがタイトルを獲得している。

ロータス79の"X線"画像

 翌年、78 で明らかとなった欠点を修正した新デザインの 79(上図)が登場するが、シーズン序盤は引き続き競争力を持っていた 78 でレースし、アンドレッティとロニー・ピーターソンがそれぞれ1勝を挙げた。その後、79 でも勝利を重ね、アンドレッティとピーターソンは、1978年のドライバーズチャンピオンシップの1位と2位を(2戦を残したモンツァでピーターソンが非業の死を遂げたにもかかわらず)独占している。

 ロータス 78 は革命を巻き起こし、1983年のフラットボトム規約によって禁止されるまで、その原理を更に突き詰めて利用することで、かつてない進化をもたらしたコンセプトとなった。

 現在、各チームが探究しているアンダーボディでのグランド・エフェクトは、サイドポッドのベンチュリ構造や側面のスカートに頼らないものではあるが、これらによって得られるゲインは、ロータス 78 と 79 によって証明済みである。